この頃はこんなことがありました

1923年 大正12年
1

個人経営の工場からスタート

(株)伏見製薬所社長伏見豊氏の祖父 豊次氏が、丸亀市金倉町(現中津町)の金倉川尻にコンピラ染料会社を興しました。

当初は『芒硝』及び『塩酸』を主に製造し、『芒硝』は染料メーカーに、『塩酸』は軍需用として呉海軍工廠に納入していました。

  • 世界恐慌による米価高騰
  • 日本初のメーデー開催
1933年 昭和8年
2

新しい試みへ

「伏見製薬所」へと名称を変え、中国から仕入れたバリウムの硫酸塩を主成分とした重晶石を原料として『塩化バリウム』の製造を始めました。

製品は50キロの木箱に詰めて出荷。牛車やトロッコで工場近くの岸壁に運び、そこから船で大阪方面へ送り出されました。

  • 皇太子明仁親王誕生
  • 日本初の公営地下鉄開通
1940年 昭和15年
3

青年学校を設立

工場内に私立伏見製薬青年学校を開校し、該当従業員の教育を始めました。青年学校とは、昭和10年の青年学校令に基づき、小学校を卒業した勤労男女子のために軍事教練を中心とした社会教育をおこなうもので、小学校に併設の形で設けられたのが一般的でした。

このように工場内に設けたのは、対象者の通学時間のロスを少なくさせ、勉強時間は作業時間に合わせて組めるようにとの配慮からでした。

  • 電気器具の使用禁止
  • 「ぜいたくは敵だ」の立看板
1951年 昭和26年
4

株式会社伏見製薬所に改組

株式会社伏見製薬所の創立総会が4月2日に開かれ、新しい組織としてスタートしました。大正12年の創業以来の個人経営から、時代の要請と将来の発展をにらんで株式会社の設立となりました。

  • 1000円札発行
  • 朝鮮戦争が勃発
1953年 昭和28年
5

医薬品誕生のきっかけは、ある一つの工業薬品

『硫酸バリウム』は、X線造影剤として現在医療現場で活躍している主要商品。この誕生のきっかけは、自社生産していた『塩化バリウム』でした。

局方品を製造すべく手探りの実験を重ねて品質規格に合格し、局方硫酸バリウムを主体に製剤した「バリトゲン」を完成させました。

その後、X線診断に画期的な精度をもたらす「二重造影法」が登場し、国際消化器学会を通じて世界に紹介され、国際的に高い評価を受けました。同時に、「胃集検車」の普及も始まりました。

  • 人類がエベレスト初登頂
  • DNAの二重らせん構造決定
1960年 昭和35年
6

伏見豊次社長、香川県経営者協会会長に就任

豊次社長が香川県経営者協会会長に選出されました。すでに多くの機関、団体の役職に就いていたため、社外活動場の幅がまた広がりました。

  • ローマオリンピック開催
  • インスタント食品が誕生
1970年 昭和45年
7

伏見製薬株式会社が誕生

医薬品営業部門を担当する「伏見製薬株式会社」が誕生しました。

これを機に営業本部・丸亀営業所、塩屋営業所、東京営業所、大阪営業所、徳島営業所に営業拠点を設け、発展成長を図りました。

その後、営業所は名古屋、仙台、中四国、博多と日本全国に広がりました。

  • 日本万国博覧会開幕
  • アポロ13号打ち上げ
1988年 昭和63年
8

高速交通網と観光ブーム

瀬戸大橋が完成して、四国と本州が陸続きになりました。この日を境に、全国からの観光客が瀬戸大橋を目指し、この大橋効果で琴平町など香川県下の有名観光地は、どこも大勢の人出でにぎわいました。

また新高松空港が完成し、大型ジェット機の就航が可能になりました。高速交通網の整備が進む中、当社の物流も船が主力でしたが、貨車輸送が加わり、やがて大型トラックが中心となっていきました。

  • ソウルオリンピック開催
  • 東京ドームが完成
2003年 平成15年
9

連続微細気孔スポンジの製造・海外販売開始

工業薬品、医薬品の製造で培った技術力は、新製品の開発に生かされています。

吸水性・耐薬品性に優れた連続微細気孔スポンジ「テクノポーラス」の開発により、スポンジの硬度や気孔径サイズも調整可能で、導電性、抗菌・防カビ性、難燃性の付与等の機能性を高めた、社の柱の一つとなる商品が誕生しました。

  • 「はやぶさ」打ち上げ
  • 地上デジタルテレビ放送開始
2007年 平成19年
10

高機能ホスファゼン誘導体の販売開始

従来の難燃剤に比べて難燃性が高いうえに、火災時に燃焼しても有害ガスの発生が低く、安全性に優れている「ラビトル」を開発しました。

日常使用されているパソコン及びプリンターの筐体並びにその中の部品や基板等は燃える可能性があり、難燃性が求められていました。

世界主要各国の化学物質インベントリーに登録し、優れた安定性を武器に、国内外の市場開拓に乗り出しています。

  • 第1回東京マラソン開催
  • 「猛暑日」が流行語に
現在
11

昔の製造設備部品は宝物

上の石臼は直径1m近くの巨大なもので、上部の両輪の石がモータで動く仕掛けになったフレットミル(粉砕機)で重晶石を粉砕するために使われていました。今も本社敷地内に保存されています。

従業員は熟練の職人技と経験で、粉砕作業を一年中休み無し2交替制で24時間作業を続けました。

この使い古した石臼の前に立つと、当時の従業員達の汗と努力、創業九十有余年の歴史の重みがずっしりと伝わり、日々の励みになっています。